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秋の映画祭から【東京・中国映画週間】【東京国際映画祭】2024年10~11月

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ブナの黄葉の森から伯耆・大山(ダイセン)剣が峰方面(10月25日弥山に登頂) 登頂記録は 【10月の山ある記に】 東京・中国映画週間(10月22日~29日) ①スケッチ~彼女と描いた光~ ②校内探偵~隠された発明品~ ③デクリプト/解密 ④抓娃娃 ー後継者養成計画ー⑤EPU ~若き勇者たち~ ⑥アップストリーム~逆転人生~ ⑦最高でも、最低でもない俺のグッドライフ(走走停停)⑧ 雲の上の売店  ⑨黙殺~沈黙が始まったあの日~ 東京国際映画祭(37th)10月28日~11月6日 ⑩陽光倶楽部 ⑪娘の娘 ⑫三匹の去勢された山羊 ⑬わが友アンドレ  ⑭トラフィック ⑮ シマの唄  ⑯黒の牛 ⑰ 幼子のためのパヴァーヌ ⑱ 海で泳げない鯨( 不游海水的鯨 The Vessel's Isle)⑲ザ ・ルーム・ネクスト・ドア ⑳春が来るまで ㉑怒りの河  ㉒赤いシュート   東京・中国映画週間 ①スケッチ~彼女と描いた光~(灿烂的她) 監督:徐偉 出演:惠英紅 劉浩存 張子賢 劉歓 2024中国 116分 カラ・ワイ扮する漁港で働く祖母は幼い孫嘉怡をなめるようにかわいがっているが、ほんのちょっと目を離した隙に孫は姿を消す。それから11年、暴力によって悪い男の犯罪に巻き込まれた17歳の少女がようよう逃げ出し、偶然逃げ込んだ冷凍車に運ばれて祖母の住む漁港の街に戻ってくるところから話が始まる。単に長年会えなかった祖母と孫の邂逅としかし長い年月は二人の心をを引き裂いていた?みたいな話かと思いきや、思いがけない展開で、話は二転三転、間に少女が見出されて絵画の選抜クラスに入るところから、DNA鑑定、裁判での祖母の証言、児童虐待、最後は老いて認知症になった祖母と、少女ーというかもはや女性淇然の心の交流と盛りだくさんなテーマを繰り出し、嘉怡と淇然の描く絵ーイルカも一つのキーアイテムーによってつないで、寒色ばかりだった少女の絵に明るい温かい光が満ち溢れるまで。映画は終わりに至ってなかなか終わらず、何回も何回も涙をさそうような構造になっているのもすごい。祖母と少女がはまり役、というのもあるし…。とにかく二人を囲む祖母周囲の親戚とか近所の人とかがみんなびっくりするほどいい人ばかりなのも(逆に少女側は困った父母とか不良の男朋友?とか困ったやつばかり)嘘っぽいが心は温まる。少女と従弟が通う高校の...

【勝手気ままに映画日記+山ある記】2024年10月 痛恨のギリシア・オリンポス山

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  オリンポス山スコーリアス峰(2912m)手前ザックをデポしたスカラポイント。こちらにはちゃんと登頂した。(9月26日) スコーリアス・ピーク頂上 スコーリアス・ピークとスカラポイントを挟み、右端がミティカス・ピーク(2917m)こちらは 前日 の体調不良を理由にどうしてもガイドが登らせてくれなかった。返す返すも残念! 痛恨のギリシャ・オリンポス山登頂記(9月25〜27日) 母の葬儀から4日目の9月23日、なんとか時間も取れたし、心も体調も回復?のつもりでギリシャに旅立った。特に問題もなく、ドバイ乗り換えの長時間の飛行もこなし、 アテネ に。 アテネでは市内観光やアクロポリスの丘、パルテノン宮殿なども見て、24日、オリンポス登山の出発地 リトホロ へ。 9月25日登山初日 、リトホロから 40分ほどバス で上がり、 1100mの登山口から2100mの山小屋 (スピリオス・アカヒトス)に向かって歩き出す。今回は大事をとって 高山病予防薬(ダイアモックス) を飲み、 荷物も軽め にして万全の態勢で向かったつもりだった、が、 1500m付近で吐き気が始まる 。吐き気止めを飲んで一応普通に歩いたつもりだが、あっという間に2人ついたガイドに ザックを奪われ、空身でトップを歩かせられる 。これは楽は楽だったが後を考えると 断固拒否すべきだった かも…。ともあれ大きく遅れることはなく普通に山小屋到着。昼食のストロガノフとサラダも美味しくいただいた。ただしその後、なぜか 吐き気止めは効かなくなり、夕飯までは大いに苦しむ 。 夕飯前に明日のミティカス・ピークに登るための ヘルメットとハーネス合わせ が行われる。今回はなぜか ヘルもハーネスも無料貸し出し だったが、同行のロッククライマー(客)によればハーネスはあまり上等なものではなく(確かに私に回ってきたのも相当な使い古しでちょっと怖い) どうせ必要なら持参したかった とのこと。軽いハーネスを望んだ彼には「ハーネスを自分で持てないようではミティカスピークの登頂は無理」との話があったようで、もちろん彼は怒る。私にも添乗員から「明日、今日のような状態で、 ザックをガイドに持ってもらうようならミティカスへは遠慮してもらう 」とご託宣。この時点では体調は決して良くなかったので、これは承知するしかない。一晩で治ることを祈るのみ。自身で...