第20回大阪アジアン映画祭2025+積雪の金剛山トレッキング


今年は大阪万博開催の影響もあり、OAAF(大阪アジアン映画祭)は3月の第20回、8月末~9月の第21回と2回あるそうです(2026年は開催ナシとのこと。事務局は大変だろうなあ)。
その1回目は3月14日〜23日でしたが、今回は14日〜22日(8泊!)という珍しく長い日程で出かけました。込み合うだろう週末をさけ、平日中心?でわりとのんびりゆったりと時程を組めたのも、とうとうオールフリー(ビールじゃないよ)になったわが人生の余裕?です。毎日お昼時間をしっかりとって、1日なるべく2本、せいぜい3本という組み方をしたのですが、それでも初日第1回をねらった『ラスト・ダンス』(2025香港アンセルム・チャン監督)はチケットが取れず(発売時刻から頑張ったのだが、席をおさえても満員?で決済に進めないうちに時間切れということ数回。そのうちに完売に。ヤレヤレ)、67作品とかいうラインナップのうち見たのは25本!(それでもビックリ!)にとどまりました。
間18日には、恒例となってきた映画祭中山歩き。六甲山系は去年の秋で一応一通り歩いたので、今回は奈良県境(頂上は奈良県とか)の金剛山へ。毎日登山をしている人も多いポピュラーな山かと思ったらどうしてどうして、前日?の雪のつもった道、しかも急坂もありなかなかあなどれない山で、冬春混交を大いに楽しみました。【山ある記】は本編末尾に載せました。


大坂アジアン映画祭(3月14日~21日分)
1~25は映画祭の、短編も含む通し番号、⑪~㉟は今年3月にみた作品の通し番号です。各作品末のNO.は今年になって映画館で観た映画の通し番号。★はナルホド!★★はイイね!★★★はおススメ!(あくまでも個人的感想ですが)

1⑪鬼才の道 2⑫私たちの話し方 3⑬我が家の事 4⑭All Shall Be Well(従今以後) 5⑮サラバ、さらんへ、サラバ 6⑯「愛に代わってお仕置きよ」7⑰寂しい猫とカップケーキ(寂寞貓蛋糕)8⑱春二十三 9⑲天使の集まる島 10⑳ヘンゼル:2枚のスカート 11㉑晩風 12㉒6時間後に君は死ぬ 13㉓破浪男女 14㉔蒙古馬を殺す 15⑮サイレント・シティ・ドライバー 16㉖そして大黒柱は… 17㉗いばらの楽園 18㉘愛の兵士 19㉙この場所 20㉚ブラインド・ラブ(失明)21㉛ラストソング・フォァ・ユウ 22㉜バウンド・イン・ヘブン(捆綁上天堂)23㉝バイク・チェス 24㉞朝の海、カモメは 25㉟イェンとアイリ―(小雁與吳愛麗)

台湾1・3・7・11・13・20・25   香港2・4・21  日本5・9・19   中国8・14・32  韓国10・12・24 モンゴル(題材含む)14・15 フィリピン16・19  カザフスタン18・23 インドネシア6 タイ17

グランプリ 22㉜『バウンド・イン・ヘブン』…納得!
薬師真珠賞 3⑬『我が家の事』出演者…なるほど
来るべき才能賞 パク・イウン 24㉞『朝の海、カモメは』監督…へー?
観客賞 『蔵のある街』(2025日本・平松恵美子監督)…見てない⤵
他の受賞作も残念ながら見てません。



1⑪鬼才の道
監督:ジョン・スー(徐漢強)出演:陳柏霖 張蓉蓉 王淨 姚以婷 2024台湾110分 ★




『返校』⑳(2019)のジョン・スー監督の「ホラー・コメディ」不慮の死をとげ幽霊(中国語だったら「鬼」だ)となったメガネの地味な少女(という設定だが、王淨が演じると可愛らしくて全然地味ではない)はタレントとして世に出ないと30日間で完全消滅する、というので売れっ子(若いライバルが出てきてやや落ち目)幽霊キャサリンに弟子入り、霊界マネージャー、元アイドル歌手のマコトの助けも借りて霊界芸能界?で生き残るべく、人々を脅し恐れさせることによる生き残りをはかるという話。ホラー映画を、人を恐れさせる幽霊の視点で描くというオモシロイ試み映画で、いやー、幽霊として「生きていく」のも大変だなあ。幽霊たちは通常は人の目からは見えないという設定だが、人と幽霊が画面をウロウロするのが観客からは見えるわけでそのあたりはちょっと世界になじむのに時間がかかった。陳柏霖は歌手マコトとして赤い上着のだっさいアイドル歌手、歌も大サービス。しつこいしつこい笑えるエンディングまで。張蓉蓉(サンドリ―・ピンナ)はしばらく見ないうちに断然おとなの女性らしい美しさ。王淨は会場から「前作『返校』とは全然イメージが違う」と質問が出たが、むしろ『輪廻 赤い糸の秘密(月老)』と同じような役柄でもっとぶっ飛んでいてドロドロの血まみれにもなり可愛く明るく、さすがさすが。映画祭恒例?の上映後トークはジョン・スー監督と、プロデューサーのアイヴィ・チェンさん。(3月14日 Tジョイ梅田 054)

2⑫私たちの話し方(看我今天怎么説)
監督:アダム・ウォン(黄修平) 出演:游学修(ネオ・ヤウ) 鐘雪蛍  呉社昊(マルコ・ン)2024香港(広東語・手話) 132分 ★★




「今日私がどんなふうに話すか見てね」というのが原題で、映画の内容を良く表しているように思われる。
かつての聾教育の中で口話の奨励というか強制、手話の禁止が行われた(という)香港で、その時期に学校で学び、しかし断固手話使用を貫いたジーソン(家族も聾者として描かれている。口話中心の学校では彼は勉強嫌いで劣等生だった)、開発された人工内耳を手術によって装着したことで口話を身に着け、しかも仲良しのジーソンから手話も学んで両方を駆使しながら、今やカメラマン・アーティストとして活躍するアラン。同じく人工内耳を装着しアランもともに「人工内耳大使」としてその普及の宣伝もしているソフィーは幼い頃聴者の母に手話を禁止され手話はできない。前半は彼女が得意の学業を生かし就活をするが、やはり難聴者としてなかなかうまくいかず、それでもとうとう一流の保険会社に就職するが、そこでもいわゆる「障がい者」扱いで思うようには仕事もさせてもらえないうちに、人工内耳に不具合がおこり聴力が落ちるというソフィー苦難編。そんなとき人工内耳に対する見方でいわば敵対していたようなアランの友人ジーソンに会ったソフィーは彼に手話を習い始めどんどん上達、世界も開けていく。後半はジーソンの苦難編で、聾者仲間と起こした洗車会社?を運営しながら、ダイビングのインストラクターを目指すジーソンが手話通訳なしではインストラクターの資格試験は受けさせないと協会から宣告され落ち込む。励ますソフィーの思いがけない行動ーというか挑戦か。終わりはジーソンはアメリカでのデフ・インストラクター資格の取得を目指し、ソフィーも適所で職を得て口話と手話を使いこなしている姿が描かれ、その意味では耳・ことばを介した二人の(アランにもちょっとそれらしいシーンもあるので)三人の自分探し?の過程を描く青春映画というわけか。男2人に女1人を配した恋愛映画の定番で、アランもソフィーもそれぞれに思う相手も…という感じではあるが恋愛には進まないというところがなかなか良い。
社会の矛盾を描きにくくなっていると思われる香港映画で社会性となるとこういう問題(障碍者福祉の領域?)という目の付け所ナルホド。しかもそこで手話も口話も人工内耳も、それが合わない人もいることまで、自分の使えるものを駆使して関係を作ればいいのだという主張は多文化・多能力の共生を確かに主張しているところが伝わってくる。
この映画ソフィー役の鐘雪蛍が金馬奨主演女優賞を獲得しているが、この人2022『黄昏にぶっ殺せ』⑭(リッキー・コー)、2023『作詞家志望』⑭(アモス・フィー)の主演女優で、いまや香港の顔?『作詞家志望』のときには実際にも作詞家志望だと紹介されたが、本作品の主題歌「What If」の作詞もしている。(3月15日 テアトル梅田 055)


↑登壇は監督アダム・ウォンと撮影監督。手話通訳つきだった。

3⑬我が家の事
監督:潘客印 出演:藍葦華 高伊玲 曾敬驊   2025台湾 (閔南語・国語)99分 ★


一家4人の四部構成のドラマ。まずは「姉姉的事」からで大学生の姉娘春が奨学金申請をしようとして戸籍謄本をとると自身が「養女」であると記載されていることを発見。彼女の幼い日弟がまだ母の胎内にいたころの一家の記憶などが描かれて、姉の謎と悩みが提示される。第2章は「妈妈的事」で夫の精子が不足ゆえに望む男子を妊娠できない母として、母秋が、夫の友人の精子をによって体外受精、一度は流産するものの友人の不倫現場を見たことから脅迫まがいに2度目の妊娠にこぎつけるまでを、夫冬の苦悩も含め描く。第3章は「弟弟的事」で、生まれた息子、夏が大学を卒業する水不足の夏、母と風呂をもらいに入ったモーテルで経営者であるかつての父母の友人(夏の実父)に出会い、実父とは知らずうまい具合に取り入って気に入られ、モーテルの主任として採用になる顛末。このころすでに父は亡く、姉は家を出ていることが示される。そして第4章 「爸爸的事」ではこの間、賭博に身を持ち崩し、妻子に顧みられない理解されない父の苦しみと死まで。そしてその後の家族も…というわけで時間があっちに行ったりこっちに行ったり、親の目から見た家族と子供の目から見た父母の食い違いとか、見方の齟齬とか、ウーン。なかなかに工夫が凝らされた見ごたえのある一本である。夏を演じるのは『君の心に刻んだ名前』㉖(2020劉廣輝)の曾敬驊でなかなかのイケメンぶりは子役時代の夏との落差があまりだなあ、とちょっと…。(3月15日テアトル梅田 056)

4⑭All Shall Be Well(従今以後)
監督:レイ・ヨン(楊曜愷) 出演:パトラ・アウ(區嘉雯)マギー・リー (李琳琳)2024香港93分


これは、まあなんというか…けっこうしんどい映画。60代のレズビアンカップル、パットとアンジーがパットの兄夫婦とその娘の一家、息子と恋人を招いて中秋を祝うところから賑やかに始まる映画。家族にも理解され睦まじい二人の様子から一転、その夜70歳のパットが急死する。するとパットの家族は傷心のアンジーをいたわるが、パットが海葬にしてほしいと言っていたというアンジーの希望は、有力風水師?の助言を受けた家族には受け入れられず、パットが遺言を残していなかったので二人が住むなかなかのマンション(二人は2007年に廃業した会社を共同経営していたし、パットは今からまたシニア・ファッションの店をやりたいと思っていた)はアンジーにではなくパットの兄が相続することになる。住むところもなくすアンジーはもちろん抵抗するが、理解のあるふうを示していた家族もそれぞれの事情や欲につられて法定相続ーすなわち兄が相続することを主張し、法的にはアンジーを守るものはないとうことでアンジーは追い詰められていく。この善意の家族がよくむき出しにならざるを得ないような生活格差(事業展開していたパットとアンジーのほうが圧倒的に裕福で、パットは生前アンジーともども兄の家族の面倒をみていたのである)の描き方はうまい。しかしこの問題の成り行きというか解決は非常に情緒的で、見ていてなんか不愉快だった(ネタバレだが、アンジーはパットが生前残した遺言書の下書きで、自分に全財産を残すとあるのを知り、納得して折れ、パットの兄家族に家を譲るのである)。
思うにパットとアンジーが対等な関係ではないという描き方がされているのがこの解決の不愉快さなのだ。対等ならば、二人で稼いで得た家の持ち主(名義人)がパットだけということも、パットの死後、アンジーはパットに養われていたのだというような扱いをされることもないわけで、二人の関係ただ女同士で法的夫婦ではないということだけで、実は男女の旧来的伝統家父長夫婦となんら変わることはなかった??ということだろう。となると、30年以上映画を離れていたというマギー・リーを「母親役やおばあちゃん役のイメージのないトム・ボーイの中性的魅力で起用(映画祭公式カタログから)」したというのも、そういうこと?レズビアン仲間と一緒にアンジーが船に乗りあたかも「海葬」のごとく花びらを海にまき散らす場面があるが、これだってせめてロッカー式の霊園から骨壺を持ち出して海に撒くぐらいはしてもいいんじゃない?と、アンジーの法と伝統への屈服(を正当化するような描き方にも)腹が立ってしょうがない。映画後のゲスト登壇は撮影監督というイーガイ・ヨンだけ。質問は1問のみ。パットの兄は太保・張嘉年(『ゴールドフィンガー(金手指)』⑰では悪役やくざ。『父の初七日』(2009台湾/王育麟・劉梓潔)の印象で、私は台湾の人かと思っていたが、実は香港スター)、その娘をフィッシュ・リウが演じている。(3月15日 テアトル梅田 057)

5⑮サラバ、さらんへ、サラバ
監督:ホン・ソネ 出演:蒔田彩珠 鈴木愛莉 テイ龍進 2024日本 26分




茨城の田舎町の女子高校生、仁美は恋人の菜穂が突然にK-popのアイドルになると言い出し、オーデションを受けて韓国に行くことになってしまう。その動揺、取り残された気持ち解消する行動に出るまでを描く。まあ、彼女の行動そのものは他愛ないと見ることもできるし、痛快というわけにもいかないが、それにしてもアイドル業界で男女交際禁止をいう当地試験官?のいやらしさ(内容も含め)は必見かも。映画後の舞台挨拶には韓国出身という若いホン・ソネ監督が登壇。レズビアンの韓国での地位などをきっかけにこの映画を作ったと語る。(3月16日 中之島美術館 短編プログラムC 058)

6⑯「愛に代わってお仕置きよ」
監督:エクセル・ラバニ 出演:ジュナ・シャヒッド アマンダ・ゴンドウィジョヨ  アルバランシャ・ユスフ  ペルナンド・マナル  アリ・スミトロ  2024インドネシア 14分


士官学校に入学が決まっている息子が突然セーラームーンに変身。困惑する母親、迷彩服姿(軍人?)の伯父はシャーマンに悪魔祓いを頼む。胡散臭げなそのお祓い…。ま、それだけの映画なんだが、女装を始めた息子の生きづらさはよくわかる。インドネシアの軽快?な伝統音楽に乗せて。
(3月16日 中之島美術館 短編プログラムC 059)

7⑰寂しい猫とカップケーキ(寂寞貓蛋糕)
監督:ヤン・リン(楊羚)出演:陸弈靜 鄭有傑 ​​ 2025台湾 28分 ★★




台湾のマンションで一人暮らしの老婦人ー書道家のだった亡夫の書を楽しみ、自身も書を書き、時に笑いヨガや、カラオケもするが、どうも周囲ともギクシャク、アメリカ在住の息子からはアメリカに来るようにと催促、台北の家を売るようにということで内見客が来たり、孤独で意に沿わない生活ぶりを
陸弈靜が淡々と(でもなんか美しい)演じる。ヨガでもらったケーキを彼女は窓修理をしてくれたマンションの警備員に渡すが、この警備員、こっそり餌をやっている猫にケーキを与える。そんなことから二人の関係がちょっと変わってくるが…。警備員を演じているのが鄭有傑で、優しいがやはり周りと波長の合わない警備員をぼそっと言う感じで演じてさすが。陽射しの美しい、それが寂しくもある映画だった。登壇は監督はじめ総勢6人のスタッフで、意気込みが感じられる。(3月16日 中之島美術館 短編プログラムC 060)

8⑱春二十三
監督:王知疑 出演:谢维发 王贱生 黄孟云 2024中国 13分


2023年パンデミックの春。両親をコロナで?なくした男が販売禁止になった花火を探して街中をバイクで走り回る話。それだけだが、画面から親しい人喪失の悲しみと花火への渇望がにじみ出てくる。
(3月16日 中之島美術館 短編プログラムC 061)

9⑲天使の集まる島
監督:堀井綾香 出演:青木柚  さとうほなみ ジャド・ヒダー  福地桃子 2025日本 33分




長期療養中?の青年が屋上で昼寝中の夢でペナンに飛び、現地では自分の姿は人には見えないことに驚き、そこで例外的に自分を見える男、そして連れの不思議な少女と出会い、心の旅?を果たすというような、まあ一種のファンタジーというか作者の心の中の夢の世界?きれいにまとまってはいるが…。
(3月16日 中之島美術館 短編プログラムC 062)

10⑳ヘンゼル:2枚のスカート
監督:イム・ジソン 出演:ホン・ジョンミン  チョン・エファ 2024 韓国 28分 ★


母が海外に出て、祖母と二人で暮らす中学生。彼女は不安神経症気味で頻尿に悩み、級友や先生との関係もイマイチ…。妊娠中の音楽の先生は問題のある生徒にはバツとして皆の前で歌わせる。というところで、ある日午後の音楽の時間に必要なリコーダを忘れたことに気づいた彼女は昼休みに大急ぎで家に取りに戻るが…。尿意をこらえられず途中でスカートを汚してしまった彼女が家で、同じ学校に通った母の昔の制服のスカート(長さが違うところに流行も現れている)を探し出しはき替えて戻り、授業に遅れたことのバツとして歌わせられるが、意外に美しい歌声を披露、その間に先生は破水して授業中断みたいないろいろな要素盛りだくさんだがまあうまく組み合わせて、ちょっと笑いも込めた30分弱の一応ハッピーエンド、母恋い少女(とはいえその表現もできない)の成長記として仕上げている。眼鏡の少女が雰囲気ピッタリでいい感じ。
(3月16日 中之島美術館 短編プログラムC 063)


11㉑晩風
監督:江宗傑 出演:游安順 イーサン・ルオ(羅茂銓)ロイ・チャン(張洛偍)ケヴィン・ヤン(楊宗昇)2024 台湾 20分 ★




高雄、結婚式会場のレストランをのぞむ、街角でうろうろする初老の男、近くに野球ユニフォーム姿の高校生?くらいの青年、同性婚が認められ晴れて結婚することになった男たちのそれぞれ父と息子という二人の物語(まあ20分しかないが物語として概ね完結?している)。息子の幸せを願いながらも同性との結婚に納得できない父は、亡き妻の動画を息子に示すことにより、なんとか式に参加し、一方父に連れられ結婚相手の男とも知り合っている息子は、しかし父と別れた母の気持ちをおもんばかり式には参加せずに高雄の海を一人見つめる…という感じで同性婚が認められても割り切れない家族関係の感情をあえて解決しようとはせず見つめているという感じがなかなかで、印象に残る。
(3月16日 中之島美術館 短編プログラムC 064)

12㉒6時間後に君は死ぬ
監督:イ・ユンソク 出演:チョン・ジェヒョン パク・ジュヒョン クァク・シヤン
2024韓国・日本90分



日本の小説(高野和明)を、日本で20年間映画の仕事をして帰国3年目(さすがに達者な日本語)という監督が映画化、主演はNCTの韓国ポップスのアイドル、ジェヒョン(宮澤氷魚+佐々木蔵之介という雰囲気でイケメンアイドルとしてはちょっと大人っぽい感じ)とパク・ジュヒョン(こちらは松本若菜-濃ゆ目?)という映画主演は初めてながら意外に成熟した印象の二人でミステリアスでありながら落ち着いた雰囲気を持ったドラマだった。舞台は監督の故郷でもありロケーションに詳しい仁川ということでそれも雰囲気作りの一つかも。これも日本の俳優にみたような顔(名前が出てこない)の刑事と警察のデートクラブ絡みのいわば陰謀というあたり(原作未読だが原作にはないらしい)も絡めつつ、昼夜いくつもの仕事を掛け持ちしてもなかなか安定した暮らしにたどり着けない韓国の若者にエールを送ったのだという監督の姿勢が、ヒロインや、警察内部で頑張りつつ貶められるかのように仕事を外されてしまう女性刑事の描き方にも現れている。
けっこう長い関係者挨拶があり監督と原作者が登壇。もっとも観客の方はかなりの部分をジェヒョンのファンが占めていたようでもある。5月の日本劇場公開が決定している。(3月16日 テアトル梅田 065)

13㉓破浪男女
監督:楊雅喆 出演:吳慷仁 劉主平 梁湘華 ウィル・オー (柯煒林)2024台湾105分

OAFF13(2018)の血観音③(思えばこの映画も「めんどくさい」作品だった)以来のヤン・ヤ―チエ作品。夜8時40分からの上映はほぼ満席近く(私の隣席前から2列目は、なぜか最後まで空席=モチロン売れていた=で助かる)期待の大きさがわかるが…。そして公式カタログの紹介によれば
 「『人魚姫』の人魚を少年とした再解釈版。親密さやアイデンティティが断絶された世界で繋がりを求めることの複雑さを、台北のセックス・シーンを背景に大胆に描く」
ということで全編の8割くらい?がさまざまなセックスシーン。
最初と終わりにも出てくる水中の複数の全裸の男女の絡んだセックスシーンっぽい動きの「舞踏」的シーン(実際に訓練したトレーナーたちが水深5mのプールに潜って演じたそうで、「絶対に真似をしてはいけません」のテロップが出る)の美しさ、は印象に残る。しかしそれ以外はどうもなあ。人魚が変身した少年(トランスジェンダーという設定?らしいがよくわからない)は性の昇天的快楽を感じたことがないとか、その友人の冠婚葬祭事業を営む?女性の男性を買って緊縛セックスとか、登壇した監督によれば抑圧されていた女性の性が解放されてきた社会変化を描いているといい、確かに登場する女性はセックスに貪欲で、男の方がむしろ受身なところもある描き方だが、嫌がる男に無理3pセックスとかを強要するような場面など???でもあり、終わりの方はちょっと辟易。ヤン・ヤ―チェ作品ぽい「めんどくささ」はさすがに充溢している。
吳慷仁の出演が話題になっていて、確かにやせ細っていた『富都のふたり』①や60代までを演じた『離れていても(但願人長久)』6㊶とは別人でこちらが地に近い?(身体的には鍛えているが鍛え上げているまでは行かない微妙なマッスル)のかもしれないが、演技的には前の作品のような凄みは全然なくて(本郷奏多みたい)ウーンもったいなくない?
監督によればインティマシー・コーディネータを全編に入れて合言葉で役者との合図をして役者が違和感を感じるようなことはさせていないそうだが、そりゃそうだよ。とにかく役者というのは大変な仕事だわ~と今回もそれがいちばんの感想。
この作品も公開が決定しているそう。でも私にとってはやはり映画祭向きかも…。(3月16日 テアトル梅田 066)
監督のトーク

14㉔蒙古馬を殺す
監督:姜暁萱  出演:サイナ ウンドス チルムグ  トンガラグ  チナルト 2024マレーシア、香港、アメリカ、韓国、日本、タイ(モンゴル語・中国語)98分



舞台はいわゆる内蒙古なのだと思われ、使用言語は日常生活などの会話は蒙古語、舞台でのアナウンスや外部から来た客との会話などは中国語だが、映画自体は中国は製作にはかかわっていないようで、多国籍映画、もちろん龍マークも現れない。
で、この映画は気候変化などにより牧畜で暮らしていくことは出来なくなり、馬や羊を売って牧畜から撤退、昼は日雇い的な労働や、蒙古馬に観光客を乗せるような仕事、夜は蒙古馬のパフォーマーとして舞台に出る男の追い詰められていく生活を描いている。ばくちで借金を作り家畜を売って牧畜から撤退した父親は酒浸り、別れた妻は一人息子を都市の幼稚園に入れるといい、その費用を父親である男に求めるというような生活の変化も併せて描き、なんか見ていて苦しくなるような物語なのだが、ビジュアルはハッとするほど美しく、暗い闇に浮かび上がる馬の毛並み、男の着るモンゴル戦士?の衣装などは黒い画面を背景に鮮やかに浮かび上がり、モンゴルの草原の朝・昼・晩の景色とそこにいる馬や人の点景なども実に美しく、完成度の高いアートフィルムの様をなす。人々はあまりクローズアップされることなく、また割と同じようなタイプの顔形、体型の男も多く、それだけにこれが個人の話しというより今の蒙古族の置かれた位置を表しているのかななどとも思われ、その意味ではドキュメンタリー的志向もあるのかもしれない。物語からすればこの美しさは有効に働いているのか、それとも物語の深刻さから目をそらすことになっているのか、そんな気もした。(3月17日 テアトル梅田 067)

15㉕サイレント・シティ・ドライバー
監督:ジャンチブドルジ・センゲドルジ 出演:トゥブシンバヤル・アマルトゥブシン ナランツェツェグ・ガンバータル  バトエルデネ・ムンフバト  2024モンゴル 138分


14年間の刑務所暮らし、人工透析もするという病持ちの男が、石切り場での細工、霊柩車の運転手という仕事を得て暮らし、沢山の犬の世話をするようすなのだが…どうにも人好きのしないというか陰気そうな男と、絡んできてつかず離れずみたいな、実は男の方は気があるんだろうが、直接的な交渉が進展するわけでもない女。
霊柩車に乗ってくる18歳もうすぐ19で12年間の修業を経た新人僧のちょっと憎めないようなキャラクターとか、棺桶作りの老人との会話の妙とか部分的に面白い要素はあるにはあるのだが、全体的にドラマとしての筋はないなあなどと思っているうちに、女は死に(殺され?)衝撃的なラストシーンへとなだれ込む。とにかく画面は暗く、アップショットはけっこうあるが、皆むっつりとしていてウーンだし、モンゴルの街や草原は美しく撮れているが、全体的に何だか重苦しくて(音楽も)見ているのが結構つらい138分の長さ…。『セールスガールの考現学』②を作った監督の作品だっていうのだけれど、ホント??というイメージの違い。(3月17日 テアトル梅田068)

映画祭の合間を縫って、18日奈良県・大阪府境の金剛山へトレッキング。山ある記は本編末尾に載せています。

16㉖そして大黒柱は…
監督:ジュン・ロブレス・ラナ 出演:ヴァイス・ガンダ ユージン・ドミンゴ ジョエル・トーレ グラディス・レイエス ジョン・ヒラリオ  2024 フィリピン(タガログ語・中国語)122分


この日は私の映画祭中日。1日休んで金剛山トレッキングということにしたのだが、山を下りて時間を確認すると、あら、これから行けば見られる(河内長野〜大阪)!しかも確認するとまだけっこういい席も空いている!ということでザックにトレッキングシューズのまま急遽映画館に直行。
フィリピンの大スター、ヴアイス・ガンダ主演のコメディは台湾への出稼ぎ場面から。ここで稼ぎまくり、故郷への仕送り、故郷の家族の生活が安定順調で、新居を建て彼女自身の部屋も作ったという写真や動画を送ってもらい生きがいを感じる一家の大黒柱バンビ。その彼女が(なぜか)故郷に帰ることになり、戻ってみると…。新居が建つどころか借金のカタに立ち退きを迫られ、家族の仲はバラバラ崩壊寸前?母は認知症でバンビをこいつつ、目の前の彼女のことはわからないというありさま。おまけになぜかバンビは死んだことになって(ここは寝ていたかもしれない。経緯がよくわからない)葬儀が営まれ、彼女の死亡保険金が入るというので家族は色めき立つ。そこに長らく家をあけていた姉のベービーも帰ってきて…。どうにも人間関係がわかりにくいし、山歩きの果てに半眠りになっていたらしく事件の込み入り方についてもいけないのだが、とにかく画面のにぎやかさ、特に後半の家族がそれそれぞれ本音をだして大口論をする場面の特にバンビとベービーの迫力(他の家族も負けていない)に、このくらい言いたいことが言い合えれば崩壊なぞは起きないのでは?とも思われるが、それこそ本音を言い合えない人々にこういう映画が受けるのかもしれない。バンビとパン屋をいとなみ彼女にパン作りを教えた亡き父(バンビの幻想として出てくる)との関係や、母がバンビを求めていることを知らされて情にほだされたり、あるいは男に変装して家族の危機に立ち向かったりバンビ姐さんの逞しさとやさしさ全開というコメディなんだが、最後彼女の帰郷の理由がわかる場面とその後の展開については、ヒネクレモノとしてはあまり感心できないというか全然笑えない。(3月18日 テアトル梅田 069)


17㉗いばらの楽園
監督:ボス・グーノー 出演:ジェフ・サター  インファー・ワラーハ  ポンサコーン・メーターリカーノン ハリット・ブアヨイ スィーダー・プアピモン 2024 タイ 130分 ★




タイでは今年1月同性婚法が施行されたそうだが、この映画はその半年前の完成・公開で、同性婚法に一石を投げかけたというわけではないだろうが、この法律が受け入れられるタイ人の感情・感覚を表しているのだろう。
4⑭『All Shall Be Well』と同じく同性婚カップルの片方の死後の家族との財産問題がテーマの中心になているが、こちらは若い男性カップルで、セークサンは父の残した農園(とはいっても借金の抵当に入っているので決してプラスの遺産ではなかった)を受け継ぎそこで新たにドリアン栽培をしようとする。相棒トーンカムの方は稼いで農園の借金を返済しながらセークとともに農園の面倒を見、ようやく抵当分が完済し、農園の名義が正式にセークのものとなったところで、仕事中にドリアンの木から落ちたセークが死んでしまう。正規の夫婦ではないということで脳手術許可へのサインを拒まれ、セークの母を実家から呼び寄せるも途中のバイク事故(これもあとからどうも裏があったらしいと示唆される)でかなわず、結局なくなってしまったセークの母(体が不自由)と「妹」(子どもの時から養われているが、正式に養女にはなっていず、母の世話をしている)モーが、田舎の貧しい暮らしを嫌い、ドリアン畑の中に二人が建てた家に乗り込み、最初は遠慮深そうに、しかし「親」としてやがて家の正式な法的相続者としてどんどん権利を主張しだし追い詰められていくトーンカムのこれでもかこれでもかというような苦しみ。台湾にいるトーンカムの母は農園を捨てて台湾に来いというが彼には農園を捨てることはできない。モーは弟のジンナを呼び寄せ、農園を手伝わせ仕事を覚えてさせて乗っ取ろうとするが…この映画の面白さは主人公よりもむしろ、脇役的に出てくるかのようなモー(もともとは気の毒な境遇の孤児でもあり、母の献身的な介護者でもありというような美人で同情的要素もあるような描き方なのだが)の特異なキャラクターと突飛でもある行動展開ーそれの翻弄されて母は彼女の思い通りに命を落とす?ーや、いかにも頼りなげな青年として登場するジンナの位置変化!とか、最後にビックリの「結婚」二組の結びつきとその夜の大アクション的血みどろバトルとか…私はいっそトーンカムは家や農園に火をつけるのかもなどと予想していたがそうはならなかったーやっぱり家も、農園も財産として大切(そこを誰がもてるかは別として)-ということなんだろうな。セークの葬儀とかトーンカムの出家の宗教的きらびやかなど目を引くようなタイの風俗もおりこみつつ、二組の男の性的接触シーンも含め、とにかく、私の見た中ではこの映画祭随一のインパクトという感じの映画だった。トークはプロデューサーのバンディさんが登壇。 (3月19日 テアトル梅田 070)

18㉘愛の兵士
監督:ファルハット・シャリポフ 出演:ケメンゲル・オラロフ カルルガシュ・エルメコヴァ  2024カザフスタン(ロシア語、カザフ語)100分




カザフスタンのアルマティ(アルマトイ)を舞台に、バンドのボーカルとして人気の出だした若い(25歳とか)の音楽家ベイブット。妻との間に息子も生まれ幸せなはず、だが家庭の束縛も感じながら、音楽活動に伴って生まれる派手できらびやかな世界の人間関係や、中でも同郷で高校も同じだった?女性との再会に心が揺れ…とアーティストということを別にすればすごく古くさい家庭と外の世界との葛藤みたいな話なんだが、アルマティ出身の有名な
A’Studio(アー・ストゥディオ)というロシアで活躍するバンドの20曲ほどをベースに歌やダンスをたっぷり盛り込んだミュージカル仕立てというのが工夫のしどころ?トークでの監督は翻訳が難しいというが全編を愛の詩をちりばめた、ちょっと苦みのある恋愛映画という感じかしらん。若い二人の台所での睦まじい歌とダンス、空港で乗務員や客が歌い踊る「愛の兵士」、マンションの階段で住人の女性たちと妻が訪ねてきた夫を追い返す歌と踊りの迫力とか、ちょっといかにも典型ミュージカル的なダサさもあるシーンが意外に印象に残る。若い夫婦がベビーカーを押しながら川べりの道でタップダンスのステップを踏むシーン、バックにそびえるのは天山山脈の白峰で、この街、確か中央アジアのスイス?(アルプスみたい)といわれてるんだっけ?とかも楽しめる。(3月19日 ABCホール・オープニングセレモニー上映 071)

↓オープニングセレモニーには32名の関係者登壇/シャリポフ監督トーク


19㉙この場所
監督:ハイメ・パセナ2世  出演:中野有紗 ギャビー・パディラ  片岡 礼子 2024 フィリピン、日本(日本語・英語・タガログ語)86分


陸前高田である男の葬儀が行われる。妻らしき女は洋装だが、若い娘は和装の喪服姿で屈託ありげ。そこにやってくるのはもう一人和装の若いフィリピン女性と付き添いの伯母(この人も日本語はしゃべるがフィリピン人?夫は日本人という設定)。若い二人は死んだ男がフィリピンと日本でそれぞれ残した娘で、男は帰国後フィリピンの娘とは疎遠になって、日本で家庭を持ち娘が生まれ、そして陸前高田で震災・津波を体験して、「今」死に、死に際して今住む持ち家を含む財産を二人の娘にそれぞれ残すというような遺言をしたために、フィリピンの娘が来日したということであるらしいのがだんだんわかってくる。フィリピンの娘エラは家などはいらないがシングルで妊娠していて、生まれてくる子のために財産の分与はしてほしいという。日本の娘レイナは津波で父に救われてから父への依存心が高まり、父も娘に過保護で、娘自身精神的に不安定だったりもするらしい。葬儀からの何日か、礼儀は正しいがハラハラするような二人の娘の確執と、それでも生まれてくる親しみの気配が、津波から復興した「この場所」陸前高田のモニュメントを背景に繊細に描かれていく。ことばはエラの英語とレイナの片言英語+なんとスマホの翻訳画面(これは映画画面の中でも小さくてけっこう見にくくて困った。日本語で言ったことを画面に示す場面はよいのだが)なので、なかなか通じ合ったというふうにはならないが、だんだんことばを越えた意識のつながり、それによってことばがハンパでも通じていくというさまはなかなかうまく描けている。内容的には言っちゃなんだが陳腐なメロドラマといえないこともないが、震災の記憶と結びつけているところがナルホド(作者はフィリピン人のキュレーター。自身が日本にきて撮り貯めてあったという震災前後の「この場所」の写真を織り込んで作っている)。でも言ってみれば死んだ男も、姉娘エラの子どもの父親も(善意だったり知らんこととしてとはいえ)、娘たちの免罪されてしまっているのだな…とちょっと割り切れないハッピーエンドでもある。(3月20日 テアトル梅田 072)
↓監督の挨拶
              











 




             










20㉚ブラインド・ラブ(失明)
監督:ジリアン・チョウ(周美豫)出演:アリエル・リン (林依晨) 吳可熙 ジミー・リュー (劉敬)フレデリック・リー(李銘忠)2025台湾(中国語) 150分

                                  

忙しい上に院長職を目指すには妻の内助が当然とされ、息子は医学部に進むのが当然という男の妻(息子)として抑圧された境遇にいる母と息子が、若い時の母の恋の相手(眼科医にしてセミプロの写真家の女性)に偶然にもほぼ同時に母再会、息子は出会いということで、二人とも家庭に求められないものを彼女に求めるかのように関係を持ち、そのことが新たな自分らしい生き方を求めることに、言い方を変えれば家庭の崩壊につながっていくというようななかなかに厳しいメロドラマ。母は草刈民代みたいなアリエル・リン(元アイドル)、恋人は寺島しのぶっぽい、ちょっとマニッシュなつくりの吳可熙。母に関しては同性愛(息子についてもこの女性との関係以前にややその傾向があるかに描かれている)と夫婦愛に葛藤になるわけだろうが、この女性にも別れた夫というのがいて、映画そのものが同性愛を称揚するというわけでもない。またヒロインの母が眼病で目が見えなくなり、彼女の幼い下の息子にも遺伝性のその症状が現れ、映画の最後約10年後?の2024年、彼女自身も失明しかかっていると描かれる(別れた夫が彼女を日本の病院に連れて行き見せる、というのは善意とみるべきか、家父長制主権を未だ振りかざし彼女への抑圧が続いていると見るべきか)が、題名も含め、また恋人が眼科医であることも含め「失明」の必然性はあまり感じられない。とはいえ2024年失明そうな母はむしろ幸せそう)息子と母の恋人は写真でつながり、母は病院のチャリティ・オークションを(病院長候補の)妻として仕切って、そこで出品された恋人の写真をめぐって話が展開していくわけだが、この写真にもあまり必然が感じられないというより、あまりにいろいろな要素をぶち込んで話を複雑にしているように思えるのは、ウーン、私の老いかしらん。面白く見るには見たのだが一つ一つのエピソードについては盛りだくさんな割に底が浅い感じがして…。特に非常に無邪気で盗みと知らずに他人のスマホをカバンに隠したとか、それと知らずに母と恋人の抱き合う写真をスマホ撮影して父に見つかる。そして母は父に車から降ろされ家を追い出されるのだが「ママ」と叫びながら次のシーンでは割とけろりとしているようなこの幼い息子の不自然な無邪気さもなんか映画のための便宜という感じもしないでもなく…。力作ゆえの粗が目立つ?(3月20日 テアトル梅田 073)

21㉛ラスト・ソング・フォァ・ユウ(久別重逢)
監督:ジル・リョン(梁禮彥)出演:イーキン・チェン(鄭伊健)ナタリー・スー (許恩怡)イアン・チャン(陳卓賢)セシリア・チョイ(蔡思韵)2024香港104分

高校生の純愛と、夢や希望を失い疲れた大人の対比、そこに時空を超えたファンタジーというか不思議世界も盛り込んで映画的夢の世界が展開する。インスピレ―ションがわかず酒浸りで痛風もちの作曲家センカ―と偶然出会った高校時代のガールフレンド夏文曼は病で余命いくばくもなく、間もなくその死が知らされる。すると彼の前に現れたのは彼女の娘だという少女。母の望んだ散骨のために日本の高知にいくということで、そこからは二人の高知ご当地ムービー風に。達磨夕日(蜃気楼)やプリン、旅館も市電や神社の鳥居のある高知の風景は5日間で撮影(ロケハンが9日)したのだそうだが、なかなか旅心さえ誘う出来でなかなか(高知の観光局?が大協力とか)。その旅で作曲家は少女に励まされ昔作りかけだった曲をあらためて作るように示唆され…となるわけだが、実は後半、この少女が実は…ということで映画はSF的種明かしへと進むわけだ。おとなになると忘れえしまう子供時代の自由を映画の中で取り戻したいというような監督の話であったし、脚本家出身で綿密に練られたプロットはまあ納得させられるいい感じ物語にもなっているが…。最後におとなになった元カノが生き返ってしまうというのは余計じゃないかなあ。世の中にはそれこそ終わりも、どうにもならないこともあるという世界観がここで裏切られたような気もする。(3月20日 ABCホール 香港スクリーニング 074)

↓香港スクリーニング登壇の皆さん/俳優アンジェラ・ユン足の長さ!/ジル・リョン監督トーク


22㉜バウンド・イン・ヘブン(捆綁上天堂)
監督:霍昕 出演:倪妮 周游 廖凡 2024 中国 109分 ★★★


私にとっては今映画祭最初の竜マーク作品。最近の中国映画のあまり見なかった予想外の出来!
2011年の上海、投資会社勤めの美しきキャリアウーマンという作りのニーニーと、そのパートナー廖凡。彼は社会的地位も高い?というか裕福で、女が手に入れたフェイ・ウォンのコンサートアリーナチケットを友人に与えてしまったりと友人たちにはいい顔をする。しかし、陰険にというのでなく人前でもすぐに切れて女に暴力を振るというまさにDV男である。
女はどうしてもフェイオンのコンサートをみたくて、ダフ屋の青年(周游)に再交渉する(300元とか500元出すといっている)青年は完売したと言って取り合わないが、何を思ったか女を連れて舞台裏のコンサートが見える小窓に案内する。これが二人の出会いなのだが、上海の街、コンサート会場の裏手への工場の湯に入り組んだ通路など映像的にもなかなか目を引く美しさ。
女と青年はそこでは別れるのだが1年後?出張で武漢を訪れた女は忘れられない青年に遭遇し、関係が復活。青年の求め(愛ではなくあくまでもセフレという位置づけなのだが)に青年の実家に案内されたりして、青年が印環細胞がんとかいう不治の病に侵されて余命が限られしかし、絶対に病院には行かないと決めている秘密を知る。
そこからは上海の男の目を逃れ青年とともに暮らし、やがて追いかけてきた男を正当防衛という形で青年が殺してしまい、重慶に逃れて、もはや病が末期症状になった青年を女がバイク配達員になって養いつつ介護をする(配達先の病院からモルヒネを盗み出すなどという危ないシーンも)…ということで、出だしで女が供述として自身の来し方を語るシーンから始まるし、終わりの予測もつくけれど、脚本の上手さは男の介入とか、警察二人を追って重慶にやってくる、青年が倒れて病院に運ばれるとか、そういう事件の挿入のしかたがうまいこと、また男を入浴させる女とか、新年快楽を祝って二人が街を走る夜景とか、ドローン撮影?の花火のシーン(こんな撮り方初めて見たという美しさ)、音中心で画面がないが不思議に臨場感を感じさせるフェイ・オンのコンサートとか、それに田園や、武漢・重慶の町などの映像がとてもとてもしっとりしながら純愛に生きる?男女の心情や渇望を表すような美しさで印象に残る。話としては単純といえば単純だが、甘っちょろくない社会性も秘めつつなので、見た感じの充実感はしっかり感じられた。いかにも大陸の映画という骨太さも。
そしてチンピラながら自身の運命を受け容れ、自身を愛してくれる女を(多分)愛さないのだが優しい青年(周游)がいい。女も変化と成長を感じさせる演技でニーニーを見直す。(3月21日 ABCホール 075)


23㉝バイク・チェス
監督:アセリ・アウシャキモワ 出演:サルタナト・ナウルズ  アセリ・アブディマヴレノワシンギス・ベイビトゥリ  ドゥイセンベク・アタンタユリ 2024 カザフスタン、フランス、ノルウェー(ロシア語、カザフ語)100分

カザフスタン映画2本目。記者の女性が主人公。話としてはカザフスタンの警察状況や政治の中の取り締まりみたいなもの、記者の昇進を餌に取材の配慮を迫る上司とか、不倫中の男性カメラマン(彼女自身にもせまる)などをエピソードとしてちりばめる中で、記者の妹がフェミニストとして運動する中で拘束されたりー白紙のプラカードを掲げるとか、赤いペンキの生理ナプキンを模した主張とか目で見せる要素もありつつその波がヒロインにも迫ってくるというエピソードを並べているのだが盛り上がりなく、ヒロインが取材に行ってヤラセ映像を取らなくてはならないとか、予定されたイベントで参加者も取材も待たされたあげく知事が突然来れなくなり中止とか、そういうシーンが続く感じなので、ウーン、集中力がと切れてしまい少々疲れた。『バイク・チェス』という題名も最初の取材エピソードの命名で、確かにこの取材の空疎さを示して映画全体の雰囲気を象徴してはいるのだろうが、全体における分量としては、え?なぜこの題?(遅れてこの場面を見損なったりしたら、意味も不明かも)というにすぎない。
内容的には「恐るべき」カザフスタン者黄の告発伴っているはずなので、まじめに見させていただくべき映画んなんだとは思いつつ。チャンスがあったらしっかり構えてもう再度見るべき映画かも…カザフスタンを知るためにも。(3月21日 ABCホール 076)


24㉞朝の海、カモメは
監督:パク・イウン(박이웅)出演:ユン・ジュサン(윤주상)ヤン・ヒギョン(양희경)カザック (카작)2024 韓国(韓国語、ベトナム語) 113分

映画祭HPの案内では「
寂れた漁村で暮らすヨングク爺さんは、かつてベトナム戦争で海兵隊員だった頑固者。ある日、船員のヨンスがベトナム人の妻を残し行方不明になる。時代に取り残された人々の焦燥と閉塞に抗うヨングク爺さんの不器用な愛情が胸を打つ」というのだが…ウーン。要は母や妻の貧困を救うためにヨンスは自らを死んだとして行方をくらまし、死亡保険金詐欺をたくらみそれをヨンググが助けるという話で、ヨンスはヨンググの漁船から落ちて死んだという態で失踪し、ヨンググがそれを警察に届けるわけだが、遺体が上がらない限り捜索は終了せず保険金は下りないことにヨンググはイライラ。しかもヨンスの母は息子の死を嘆き毎日海辺に座り込み、ヨンスの、妊娠中のベトナム人の妻はヨンスの遭難のショックで流産し、さらに死亡届を出すことにより保険金は受け取れる?が、在留資格を失うという葛藤に陥る。登壇した監督によれば、村ぐるみ社会構造的に貧しい漁村の状況に一矢を報いるということみたいだが、全然話が成り立たないではないか。この犯罪の必然性も爺さんが助け加担する意味もおとぎ話としても全く感じられない。さらにこの爺さん、ベトナム海兵隊上がりだった、という設定は元海兵隊員をバカにしているのではないかと思われるほどの、無思慮・無反省な男で、「不器用な愛情」などというものはどこにある?という感じ。映画の出だしはかつて自殺させた(父親の娘に対する行動の制限と過剰な折檻のあげく自殺したとヨンスの母の口で語られる)次女ゆえに父への怒りから疎遠になっている長女との関係についても長女への愛情(と困惑)はあるが、次女の死の責任などはまったく感じていないので長女には理解されず絶縁されてしまうという描き方で、多少の反省や、後悔があるならばまだしも、まったく自信満々にヨンスの死と保険金搾取を(自分のためではないのだが)画策するとは、おとぎ話としても信じられない。最後にベトナム人妻は4億ウォン?とかの保険金を手に入れこの村を去っていき、息子が死んでいなかったことを母は知りめでたしめでたし??となるが、死んでいなければ保険金は当然返却だろうし詐欺罪には問われるわけだし、この家族の行く末はどうなるの?と思うのだが、登壇した監督によれば、「せめて犯罪が成功してほしいという気持ちを表した」んだそうだが…マジかよ…そういえば2022年大阪で見たこの監督の『ブルドーザー少女』⑫もご都合主義的な解決をしている映画だったなあと、思い出す。なお、題名の「カモメ」は日本植民地時代に朝鮮がしばしば「カモメ』とあらわされたことからだそうで単に一小漁村に限られた物語ではないことを示しているとかだそうだが、これもここにあえて持ってくる意味がわからない!(韓国の人にはわかるのだという友人あり)もっとも、こういう映画こそ劇場ではなく映画祭だからこそ見られるという作品かもしれない。(3月20日 ABCホール 077)


25㉟イェンとアイリ―(小雁與吳愛麗)
監督:トム・リン(林書宇)出演:キミ・シア(夏于喬)ヤン・グイメイ(楊貴媚)サム・ツェン (曾國城)ン・キーピン (黃奇斌)シエ・イーラー(謝以樂)2024 台湾(中国語、台湾語、客家語)モノクロ106分 ★★


コロナ中に監督トム・リンが妻のキミ・シアとともに彼女の主演作という構想のもとに脚本を書き上げ実現した1本という。なるほど、なかなかに完成度の高い作品であった。くっきりデジタルのモノクロ映像が、物語の陰影に集中する効果をあげている。
出だしは血まみれで警察に駆け込む小雁。次は小学校の校庭で兎の世話をする少年。そして「小雁」の第1章は8年後、母と自分を虐待し続けた父殺しの刑期を終えて、小雁が母の営む商店の実家に戻ってくるところから始まる。そこへ現れたのは亡くなった当時の父の愛人で父との間に生まれた子(小雁にとっては腹違いの弟、冒頭の兎の少年である)を1ヶ月預かってくれと無理やりに置き去りにして去る。そこからの小雁の暮しと気持ちの困難がはじまる。楊貴媚演じる小雁の母にはすでに新しい男がいるが、この男はハズレで捨てられたスクラッチくじを加工して新品同様にし、母の商店におかせて当たらない偽くじで稼いでいる。それを知った小雁仮出所の身で犯罪にはかかわれないと販売を拒否するが、男は母に対して暴力的で、母もあらがえずむしろその男を頼りに生きて行こうとしている。鬱屈する小雁。励まし、少年を預かったりして支えてくれるのは学校時代の後輩の屋台店を営む青年岳…・
一方で「呉愛莉」という第2章、キミシア演じる呉愛莉と名乗る女性が、市民大学の演劇コースを受講し、最初はこわごわ、次第に心を開かれていく1時間目から4時間目までの演劇ワークショップの様子が描かれる(この演劇教室は、映画を離れてみてもなかなかになるほどという感じに描かれていて、キミシアや監督の演劇的体験などが生かされおりこまれているのかなとも思えた)。何回目かで、演劇の実習として鏡に向かい「自身(呉愛莉)を嫌いだ!」と繰り返し叫ぶ呉愛莉の姿など。ーこの場面を偶然見たのは、少年の行方不明になってしまった母の勤め先としてこの市民大学のある大学当局を訪ねた小雁の母(と連れられてきた少年)で、そこから映画は母(実は母の名は呉愛莉)の自身への振り返りの物語へと変わっていく。相手を悪い男とは知り、暴力を振るわれながらも依存する生き方を選んでしまう女(それゆえ娘を不幸な犯罪に追い込んでさえしまった)としての母が、自分の生き方をとらえなおし、男に対しても態度を変えて殺されそうになりつつも抵抗する変貌を説得力ある演技で体現する楊貴媚は意外性はないけれど、さすが…。二人の女小雁と愛莉を一人の女性に演じさせていると見せながら、実は小雁=愛莉であり、かつ母でもあるという三つ巴的構造を時系列をあちこちさせて観客を惑わせながら、あえてそれを伏線に母と娘を重ねて近づけ、多分和解ではないのだけれど、二人は互いに理解し支えながらもそれぞれの道を歩いていくのだろうと思わせる最後まで、見ごたえのある映画だった。(3月21日 ABCホール台湾ナイト 078)

↓台湾ナイト登壇の面々/トム・リー監督トーク(妻は美人と繰り返すのがステキ)


【3月の山ある記】大阪アジアン映画祭中のトレッキング

3月18日 金剛山~葛木岳(大阪府・奈良県)

南海線・河内長野駅⇒金剛登山口➡千早本道➡金剛山(1125m)➡金剛葛木神社(1125m)・葛木岳➡登山口➡鯉釣場バス停⇒河内長野駅 
4h(休43m)6.4㎞ ↗659m↘607m難易度13(ふつう) 110-130%(やや速い)(データ=ヤマップ) チェーンスパイク装着 ソロ登山

↓ルート図(後半尾根下りの厳しさ)/山頂標識・時計(有名?)と大阪方面

河内長野駅前8時46分発、なぜか今はロープウェイが廃止されているのに「ロープウェイ駅」行きとされたバスには平日にもかかわらず若い人々も含め、ちょうど満席といっていいくらいの登山客。そのほとんどが終点1つ手前の「金剛登山口」下車。9時半から歩き出す。
千早城への石段を登るつもりだったが、一般的な登山道は城址裏側?を回るものらしく、人々につられてそちらを歩き出す。空気がきりきりとして意外に寒い。しばらくして城址への道というのも横目で見ながら予定の千早本道(ずうっと階段になっている)へ。途中から雪がうっすら、やがてけっこうつき出す。毎日登山をしているらしい方々が下りてくるところで「アイゼン持ってますか?」と聞かれた。さいわいチェーンスパイクはいつもザックに入れているので、途中から装着して、登りはどんどんピッチを上げることができ、11時前には頂上に到着。実は前日まで風邪で咳・のど・鼻の調子が悪く薬を飲んでいた。今朝は問題なさそうなので出てきたが、歩き始めは少々息がもたずにつらい。しかしゆっくりペースで歩いているうちに復調、積雪はあっても天気はいいので快調登山

↓歩き始めは雪のなかった千早本道、歩いていくうちにどんどん雪が深くなり…


さて、山頂でゆっくりお茶とシリアル、ゆべしなどで軽く腹ごしらえ後、高度的には「山頂」より高い?とも聞いた金剛葛木神社を目指し、雪の積もった石段は避けて周囲をぐるり、朝登った千早本道の1本南側の尾根ルートを下ってみたのだが、これはなかなかあなどれない下り道だった。まずは分岐からこのルートにはいるために横切る道、雪に埋もれた細道で笹に覆われ入るのにちょっと躊躇。靴跡があるので意を決して。そこを歩いたのは10分ほどとは思われるが、すれ違いは女性1人、勇気あるなあと思っているうちに「遊歩道」になり、いよいよ尾根下り。これも前半は雪は被っているものの丸太の横木を渡したゆるやかな階段で道が示され滑らないようにさえ気をつければ、どうということもなかったのだが、途中「左は危険、右に下るように」と表示のでた分岐に。もちろん右を下りたのだが、その急斜面ぶりに驚き、左に行ったらどんなだったのだろうと思った。途中で雪はすっかり消えたのでチェーンスパイクを外し、あとは転ばぬように(転んだらドロドロの濡れ土)転ばぬようにと、途中2回くらい道がわからずヤマップ地図を見ながら進んで方向修正をしたりもしたものの、なんとか1時間40分あまりの下りでバス道路のおりてホ…。金剛登山口と、金剛山ロープウェイ駅中間の鯉釣場というバス停まで10分歩き、10分待って13時46分のバスで無事に河内長野まで戻る(このあとそのまま大阪まで行き15時半からの映画祭上映を見た!WWW)
↓金剛葛木神社/急な下り階段/避けて雪の道へ
↓右へすすめ、左は危険の分岐/最初はまあこんな雪道だったが、雪が消えると急斜面(下から見上げた急斜面)
ロープを張ったところもある道をおり切るとせせらぎ。ここでまた道を探すことに/やっと車の通る道と交差寸前、ほっとした。


鯉釣場バス停の下は鯉釣?の人々/バス停でホッと一息の自撮りデス


3月22日帰京。
①〜⑩を含む【3月の映画日記+山ある記】は3月末~4月初めにupする予定です。
どうぞお楽しみにhhh。
おつきあいありがとうございました。                                                  









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